2005年11月13日

アメリカの葛藤。

年末は日本に帰るけども、帰る度に感じるのは、マジョリティーになる意味の大きさ。
自分が、その場所でいう「大多数」に属する存在だということ。
誰も私の存在に疑問を持たないという環境。
別に、私は普段アメリカにいて、「私はガイジンだ。みんなとはチガウ」と思いながら生きているわけではない。
アメリカという国は、自分がよそ者であることを意識させない空気があるにはある。
でも、それでもやっぱり「違う者」として見られていることを意識せざるを得ないことは多々ある。
もともとの言語や文化を共有していないことはもちろんだし、周りの中で私一人だけアジア人だという場が多々あることとか。
道を歩いててもどこにいても、周りとは完全にとけ込まないんだろうこととか。
意識してないと思ってても、一緒ではない人たちの中で生活している中での制限とか圧迫とかはやっぱりあるらしい。
日本に帰って、自分が急に「当たり前の存在」になったときに、ひしひしと実感するものです。
自分がきれいに混ざりあって、見えなくなるようなことが、どれほど大切なことかを。
どれほど自由で、のびのびできて、心地よいものであるかということを。
自分がぴったりとはまる場所に戻る満足感。
自分はここにいていいんだ、と感じる安心感。
自分の属する場所を確認できるありがたさ。

それを思うと、どうしても考えることがある。
アメリカのマイノリティーの人種の人たちは、その「マジョリティー感」を感じることがあるんだろうか。
自分が誰から見ても「当たり前」であるという環境はあるんだろうか。
アメリカにいるアジアンアメリカンや、アフリカンアメリカンの人たちは、この伸び伸び感を感じれることがあるんだろうか。
そういった人たちは、アメリカで生まれ育ったアメリカ人なわけだから、文化も言葉もアメリカのものを持ってて。
例えば中国系アメリカンの人が中国に行っても、アフリカンアメリカンの人がアフリカに行っても、その人自身の文化に戻ったことにはならなくて。
つまり、世界中のどこに行っても、決して多数派にはなれないということで。
マイノリティーという立場は絶対的であるということじゃないか。
常に心のどこかで、無意識であっても、「自分は他とは違う」と思って生きていかなければならないんじゃないんだろうか。
日本に帰ったときの自分の「マジョリティー感」の心地良さと安心感を思うと、一生つきまとうマイノリティー感の辛さは想像ができない。
「違う」という目を逃れられない、アメリカの非白人の人たちの葛藤の大きさを感じさせられてしまう。

アメリカという国に住めば住むほど実感すること。
アメリカは多様性の国自由の国、と言われるけど、実は全然そうではないということ。
日本と同じだと思うくらい、単一文化、単一人種、単一言語の国。
結局はアメリカは、白人の、英語の、キリスト教の社会であって、それ以外の人たちは完全には自由にはなれないし、同様の権利は持つことはできない。
こんなにも様々な人種、言語、宗教を持つ人口を抱える国なのに、この状況は不思議だし、残念でもある。
多数の人種や言語や文化や宗教が全て平等に、当たり前に扱われるような国家は可能にはならないんだろうか。
アメリカのマイノリティーの葛藤は、まさにアメリカの国そのものの葛藤でもあるんだろうな。


posted by eiko at 19:03| Comment(4) | Culture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どうも久しぶりです。えいこさんの文章読んでると、アメリカの単一文化加減とか自分自身では知識としては知ってるつもりの事でも実は体験が伴っていないと半分もわかってないんだなぁと思わされること幾たびもあります。特にこの文章ではアメリカ生れのマイノリティーアメリカ人のマジョリティー感の欠如とその渇望ということが物凄く迫真に迫ってきて足元がグラグラします。

P.S.他のintersoulの人々にはメールしたんですけど、僕の大学卒業後の進路が決まりました。名古屋大学大学院国際言語文化研究科高度専門職業人コースです。やたらと長い名前ですねー。
Posted by たなべ at 2005年11月16日 17:11
たなべえ!
お久しぶりです。コメントどうもありがとう。
そして、大学院合格、おめでとうございます!
今度は大阪を離れて、名古屋なんやね。どんな研究をするんかな?
とにかく、頑張ってるみたいで何よりです!お互い、大学院生活、がんばろうねー。
Posted by エイコ at 2005年11月18日 16:19
学部では若者文化の表象分析のような感じのことをしてますが、その関係上記号言語学にも興味が出つつありますね。受験が終ってからだいぶ興味の方向が変わってきて進路が決定してるのにテーマをどうしようか迷っています。
Posted by たなべ at 2005年11月23日 10:43
るつぼと言いつつ本当は白い人の国なのね
それが「正義」という言葉の示すとこなのかな
印度でも、基本的にアーリヤの血が、
白さが強ければ強い程、
カーストが上になっているそう
なんで時期も場所も違ってんのに
世界中で同じようなことが起こるのでしょう?

アメリカンマイノリティーの苦悩
アイデンティティって言葉が
存在しない極東の島国育ちには想像を絶します
一度自分の目で確かめたい
Posted by なおみ at 2005年12月18日 22:14
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