2005年07月12日

福岡へ

週末は、法事のため7年ぶりに母の実家の福岡で過ごした。
博多で降りてからもさらに、長々と電車に揺られて田主丸という田舎まで。
つくづく、遠い。
久しぶりに会ういとこたちがずいぶん大きくなっていたり、祖父の足腰が弱っていたり、時の流れを感じ。
赤ん坊だった末っ子の子が小学生になってるなんて、そりゃ私も歳取るはずだ、と思った。

17年ほど前に叔父の元にお嫁に来た叔母が、突然の病気で亡くなって2ヶ月。
まだ幼いいとこ達がどうしているだろうと心配だったものの、表面的には変わらず毎日を過ごしているように見えた。
もちろん、彼らの深層心理まではわからないし、母親がいなくて平気なわけがないとは思う。
高1の長男のいとこがあるとき、彼の祖母に、「ある朝お母さんの『いってらっしゃい』という声が聞こえたよ」と話したそうだ。
「あれは、間違いなくお母さんの声だった」と。
何も言わないけど、母親を亡くした辛さを必死に奥に隠してるんだと感じて、胸が熱くなった。

実は、死んだはずの近しい存在の声が聞こえる、というのは、私にもよくわかる。
中2の時、大好きだった父方の祖父が亡くなったばかりの頃、父親の実家で祖父の声が私にも聞こえたことがあった。
子供好きだった祖父は、いつも温かいユーモアで私たちを楽しませてくれる人だった。
毎朝私たちが起きるのが遅いことに対して、笑いながらいつも、「お前達の場合は『おそようさん』やな」と言っていた。
それが、ある朝私が起きて居間に向かう途中、はっきりと祖父が「おそようさん!」と言ったのが聞こえた「気がした」のだ。
本当に祖父がいるのかと一瞬思って、急いで居間のドアを開けたけど、当然、そこには祖父の姿はなく。
けれど、聞こえた「気がした」んじゃなくって、間違いなくあれは祖父の声だった、と思った。
そんな風に、人はいつまでも大切な人の幻影を見てしまうんだろうと思う。

せっかく久しぶりに九州にきたんだからと、帰りはダウンタウンの天神をぶらぶらし、お祭りが近くて出てた山笠を見たりしてから新幹線に乗った。
今度こののどかな田主丸にはいつ来れるのかと、去るのを名残惜しく思いながら。
先々週は北海道だし、今度は九州だし、軽く日本横断やん、とか考えながら。
posted by eiko at 13:29| Comment(4) | Travel (Japan) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そういうことってありますよね。
僕の祖母も祖母のいとこがなくなった次の日の朝、
玄関から(仕事に)「行ってくるよ」と声がした、
といっていました。
Posted by じじ〜 at 2005年07月12日 17:20
>じじ〜さん
やっぱそうなんですねー。
あれって、いやにはっきりと聞こえるんですよね。不思議なものです。
やっぱり、人間って、そう簡単に身近な人の存在を忘れられるわけではないんでしょうねえ。
Posted by eiko at 2005年07月14日 12:15
祖母が亡くなった日は思えば不思議な出来事ばかりでした。
その後祖母の声が聞こえることは今でも、しょっちゅうあります。
いつも「頑張りぃね」って言ってくれます。
大切な人が大切な限り、ずっと傍にいて声続けてくれるんだと思います。
Posted by 綾子 at 2005年07月16日 23:02
>あやこちゃん
そっかあ。
やっぱりそういうことって結構あるんやね。
いなくなってしまてもずっとその人が傍にいてくれるように感じるのは、その人が自分にとって本当に大切な存在である証拠なんやろうね。
Posted by eiko at 2005年08月01日 05:47
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