2003年11月29日

Individualism

ということで、Thanks Giving Breakはトリニティーの一家とともに3泊過ごさせてもらったんやけれど、その過ごしやすかったこと!
というのも、家族水入らず、ってなるはずのところに私ひとりだけが、家族の一員でもなければ国籍も人種も違う異邦人。
これって、私結構いづらい気持ちになるんじゃないの、って初めは正直思っていた。
しかし、実際はそんなことは微塵もなく。
ありえないくらいの過ごしやすさでした。
なんか、誰も気なんか使わない。誰も他人の私がいることを気にもしないというか。
変に気を使ってこないから、こっちも逆に気をつかわなくてもいいという雰囲気。
これが日本人の中だと、「お茶でも飲む?」とか、もし所在無さげにしてたら、「好きに座っててね」とか。どうしてもお客さん扱い。
逆にこっちは泊まらせてもらってる身だからということで、「手伝いましょうか」とか、何事にも「すみません。どうも」って感じ。
他人の家におじゃましてます感が強くて、くつろげる感じはしなさそう。
そして家族全員の方もなんかいつもと違う感じになったりとかで、自由に振舞えなかったり。

今回は、本当にみんなフレンドリーで、いい感じに適当で、助かりました。
普通だったら、私半分ソファーで寝そべってテレビ観たり、ダイニングのテーブルでお菓子勝手につまみながら急にパソコンいじりだしたり、なんてことはできないはず。
お母さん以外はみんな初対面っていう、初めてお邪魔するお宅で。

思えば、やっぱりそこは、グループを重んじるコレクティビズムの日本人とは違う、インディビジュアリズムのせいなのか、アメリカ人はすぐに誰でも仲間に入れたがるし、それを当然だと思っている感がある。
例えば、バーに行くときなんかがそう。
友達数人とバーに行こう、って話になったら、必ずそれぞれみんなまた別の友達を連れて来、また更にその友達がその友達を連れてきたりするので、本当に初対面の人たちとわんさか一緒にバーに行く、というパターンが当たり前。
だから、こっちに来て、友達の友達の…というパターンで知り合いや友人がかなり増えたし、すっごく出会いが多い(その場一回きりの出会いっていうことは少なく無いけど)。

これはバーに行くときだけに限らず、なんかある際にはみんな構わず友達を当然のように呼ぶので、分け隔てない。固定のグループ意識、というものがないのだと思う。
先日、アンナに連れられてテールゲイトしに行ったときも、「私明日テイルゲイトしに行くけど、来る?」、っていう感じで、フツーに誘ってくれたし。
そして、現場に着いたら着いたで、みんな「始めましてー」、ってこれまた普通。
そして、普通に仲間に入れてくれるのです。

なんか、日本のように、固定の集団での団結とか、仲間意識とか、そういう一致団結した絆とか、っていうのも大好きなんだけれど、こういうわけ隔てなく誰でも受け入れる姿勢は、アメリカ人の国民性の中で、結構好きな部分の一つだったりするのだ。
posted by eiko at 01:24| Comment(0) | Culture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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