2003年10月01日

Can we "see" the culture?ー文化は「見える」?

マスター論文のテーマ決め…。そろそろ本格的に何を研究したいか、具体化していかなければならない。研究テーマに関しては、大学院に入って以来、ずっと考え続けてきてることだけれど。

焦点は、コミュニケーション上の、言語使用の側面。
異文化間コミュニケーションにおける、言語の使用。
特定の言語現象における、異文化間の傾向の違い。
そして異文化間のその違いゆえにおこる、コミュニケーション上の摩擦。
私の興味のあるのは、こんなところ。

でも、ときどき、ジレンマを感じてしまう。

テーマを決めるにあたって、まず自分の周りで起こる現象に着目して来た。
‘異文化間コミュニケーション’を地で実践しつつ、もちろん違いを感じて小さな誤解を招くこともあったし、ささいな違いにおもしろさを見出すことも数多くある。

けれど。

それを「文化」という枠でくくってしまうことに、文化の違いゆえの違いだと、単純に結論付けてしまうことに、疑問を感じてしまう側面も、否めずにいる。
「個人」の前に、「文化」を持ってきていいものだろうか。
誰かの行動は、全て文化を反映しているものだと捉えていいものか。

こっちに来て、文化の違う人々とたくさん接してきた。
その中でもっと感じるのは、期待していた「違い」よりも、「同じ」。
文化どうこういうよりも、「人はひと」だということだった。
もちろん文化の違いは大きく関わっている。その違いからおこる考え方の違いもある。
でも、考え方の違いが全て文化に帰するわけではない。人の性質の違いも、文化によるものだけではない。
ずうずうしい日本人だっているし、内気なアメリカ人だってたくさんいる。
基本的に、一つの傾向を、大きなグループに一般化するのは簡単なこと。そして、それゆえに、「ステレオタイプ」なるものが生まれてしまう。

わたしはステレオタイプというものが、どうしても、嫌い。
自分が、「日本人」のステレオタイプを通してしか扱われなかったときが、特に嫌い。
わたし個人の性格を尊重されずに、それを「文化」のせいだと捉えられる。自分の行動一つひとつに対して、「日本人って…」とコメントされる。私の前に、「文化」というフィルターを置かれてしまう。
私個人のパーソナリティーの問題なのに、「そんな日本人的なことは、アメリカでは捨てないと」って言われたり。
「日本人的」って?
きっと、「これが日本人です」像のことなんだろうけれど。そうそう、「ステレオタイプ」ですか。
かなしくも、一つの文化をひとくくりにしてしかモノや人を見ることが出来ない人は、意外とたくさんいたりするもので。
そして、自分も知らぬ間に、「ステレオタイプ」で、他人を見ていたりもするもので。

それだからこそ、「文化」を考えることはなかなか難しい、と思う。
人の言語使用行動の中に、「文化」を見出す。特定の文化に見られる、特定の傾向。
その発見はとってもおもしろいのだけれど、全てを単純に「文化」に帰してしまわないように。
単に「ことば」にだけ焦点を当てることができれば、もっと簡単。でも、コミュニケーション学をやる上では、どうしても「人間」が関わってしまう。

「文化」は目に見えるのか・・・これは、とても大きな課題だと、実感する。
posted by eiko at 01:13| Comment(0) | Culture | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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